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2024年に公開された映画の感想

この記事は、2024年に公開された映画の感想に関する記事です。

情報

この記事に関する情報について、記述していきます。

  • 筆者はこの記事に「ネタバレ」を含ませています。
  • 評価の際に使用している「S・A・B・C」に関しては、Sが最高評価、Cが最低評価を表します。

ルックバック

下記の文章は、映画『ルックバック』のあらすじ&評価&感想に関する文章です。

Amazon Prime Videoで鑑賞。

あらすじ

藤野と京本が互いに背中を押し合う物語。

評価

『ルックバック』に関する筆者の評価はA。

  • 物語 A
    シンプルで面白い物語だったと思います。藤野と京本が出会うまでのワクワク感、出会った後の友情物語、事件発生後の「絶望からの希望」、どれも面白かったです。再生時間が1時間であることは、イイことだなと思います。これ以上再生時間が長かったら、シンプルな話に余計なものが混じって、もしかしたら飽きていたかもしれないからです。
  • 音楽 A
    正直音楽に関して覚えていることはほぼゼロですが、ルックバックの音楽は決して悪くはなかったと思います。ただ、マジで耳には残っていないです。もしかしたら1度観ただけで耳に残っている音楽の方が異常であり&凄すぎるのかもしれないなと、ふと思ったり。それほど素晴らしい音楽はこの映画の中になかったと思いますが、悪くはないと思うので評価はAです。
  • 表現 S
    まず、絵が綺麗。そして、声優の演技が上手。絵は少し好き嫌い分かれそうな「独特な絵」だったと思います。筆者は最初の数分あたりで慣れました。声優の演技はかなり上手な演技であり、この映画にうまく溶け込んでいたと筆者は思います。筆者は、特に京本の声が大好きです。

感想

下記の文章は、ルックバックの感想に関する文章です。

生死よりも重要なこと

京本は物語の途中で死にます。

それは確かに悲しいことであり、藤野が自分の行動(京本を外の世界へ連れ出したこと)を後悔したことも理解可能です。

ただ、それと同時に筆者は「生死よりも重要なこと」があると思います。

それは京本が「幸せに生きたこと」です。

京本は藤野と出会って、おそらく「幸せ」が爆発的に増えたと筆者は推測しています。

友達と出会って、親友になって、同じような夢を追いかけて。

これ、多くの人が理想だなと思うような人生です。

そんな幸せな人生を過ごせたのなら、藤野の行動は決して「後悔するような行動」ではなく、むしろ「大切に想うべき行動」だったのかなと。

京本の孤独

筆者は多くの人がドン引きするレベルで引きこもっているので、他の人よりも京本に近い存在だなと思っています。

そんな筆者が推測できることは、「藤野と出会う前の京本は孤独だったのではないか?」ということです。

家に引きこもっていると、ドンドンと外の世界が怖くなりがち。

外の世界が怖くなると外を嫌うようになり、友達と遊ぶことがかなり億劫になります。

更に、「引きこもっている」ことが原因で劣等感が強くなっていき、友達よりも劣っていると感じやすくなり、友達と対等ではなくなっていく感覚に襲われがち。

なので、家に引きこもっている人はドンドンと友達を避けてしまい、ドンドンと友達が減っていきがち。

藤野と出会う前の京本がどういう状態だったかは推測するしかないです。

ただ、京本のあの異常な人見知り状態を見て、ある程度孤独であったと筆者は推測しています。

もしも京本が孤独であったと仮定するならば、藤野と出会って、京本は最高の幸せを感じたのだろうなと推測することができます。

現在と過去の交錯(パラレルワールド説)

ルックバックの「現在と過去が交錯する物語」は、非常に面白い物語だなと思いました。

ちなみに、「現在と過去が交錯する」に関しては、パラレルワールド説を前提とした場合にルックバックの物語内に発生する現象。

下記の「妄想説」を採用する場合は、全て藤野の妄想であるので、現在と過去は交錯しないです。

藤野先生の四コマ漫画がパラレルワールドAの京本を変えて、「パラレルワールドAの京本が亡くなった後に藤野先生が破った4コマ漫画(この4コマ漫画の「出てこないで!!」の部分)」がパラレルワールドAの過去の京本の行動を変化させてパラレルワールドB(事件に巻き込まれた京本を藤野が助ける世界)を発生させて、パラレルワールドBの京本の4コマ漫画(「背中を見て」)がパラレルワールドAの藤野先生の背中を押す。

この一連の流れ、非常に美しかったなと思います。

作者は天才。

妄想説

映画を観た直後の「筆者の頭の中にある考え方」は、上記の「パラレルワールド説」のみでした。

ただ、インターネットで感想を検索しているときに「妄想説」を見つけて、これも素晴らしい考え方だなと驚愕。

妄想説とは、「パラレルワールド説のパラレルワールドBの物語は全て藤野の妄想であり、藤野の後悔や理想などが混ざって生まれたものである。」という説。

確かに、パラレルワールドBの物語は、妄想したのかな?というくらいに「上手くできすぎている物語」であるような気はします。

京本or藤野が「背中を見て」を過去に書いていたとすれば、「背中を見て」が藤野の近くに落ちていたことはおかしくはないです。

ちなみに、個人的には、パラレルワールド説が正しい説であると思いたい。

理由は、「京本がどこかで生き続けている」という事実が欲しいからです。

「背中を見て」の意味

「背中を見て」の意味は何だろうかと、色々考えていました。

「ツルハシが刺さっている背中=藤野先生の背中」であることは確実です。

そうすると、背中を見ての意味は「現在の藤野先生の立派な背中を自分で見て欲しい。その素晴らしい背中を皆にこれからも見せてあげて。」or「京本が藤野の背中を見続けてきて幸せな気持ちでいっぱいだったことを示唆している。」のどちらかなのかなと。

または、藤野先生の背中であることはあまり関係がなくて、「京本の部屋に飾ってある服の背中の部分(藤野のサイン)を見て。私はあなたの背中を見ながら追いかけることができて幸せだった。」という意味なのかもしれないなと。

このあたりの物語に関しては、いろいろな考察ができそうで面白そうであり、いろいろな解釈ができる物語を描いた作者の「凄さ」を感じます。

どの考察結果にも共通していることは、作者が「藤野の背中を優しく押そうとしていること」だなと。

泣いた

死者が映る回想シーンはやはり泣けるなと思いました。

筆者の場合、葬式で泣かないと決めていても、写真回想の場面でいつも涙ポロリ。

もう会えないと思うと、つらい。